학술논문

奥原碧雲『竹島及鬱陵島』の和歌の特徴
Document Type
Article
Author
Source
日本文化學報, 0(46), pp.91-112 Aug, 2010
Subject
일본어와문학
Language
일본어
ISSN
2733-8908
1226-3605
Abstract
本稿では奥原碧雲が1906年3月の島根県調査団に参加したのちに著わした『竹島及鬱陵島』の巻末付録「寒潮余韻」の和歌を通じて見ることのできる団員らの独島/竹島に対する認識について考察した。1905年の独島/竹島の島根県への領土編入の直接的な契機となったのは隠岐在住の中井養三郎による同島貸下願であったが、中井らは当時の海図の記述などから同島が韓国の管轄にあるものと考えていた。 ところが1906年3月の島根県調査団員により詠まれた「寒潮余韻」の和歌には、このような事実を意図的に忘却したかのように、天皇の御代の永遠を祈ると同時に、天皇による同島の統治の永遠をも祈り予祝する意図が表れていると見られる作品が収録されている。また同島の島根県への編入が天皇の威勢(御稜威)のもとに行なわれた帝国主義的な海外への膨張の一環と調査団員が認識していたことがこれらの和歌からわかる。また当時の日本人が独島/竹島と日露戦争における日本の勝利を結び付けて考えていたことと、天皇、特に後醍醐天皇に対する関心と強い同情の心が表れている歌も収められている。更には独島/竹島がかつて神の時代に日本の神の手による国生みによって誕生し、その後はそれらの神によって統治されていたという思想がその背後にあったと見ることができる作品も収録されていた。そして歌の中でアシカについて言及していることは同島とアシカ猟とが不可分の関係にあることを示していることを指摘した。上述のように中井養三郎は領土編入並びに貸下願の提出に先立って独島/竹島を韓国の領土と考えており、日本政府の内務省当局者もまた同様であった。『竹島及鬱陵島』を著わした奥原碧雲もそのことを充分承知していた。しかし、以上で見た「寒潮余韻」に収録された和歌を見ると、領土編入後に視察員らがそうした事実に目を向けた痕跡はまったくない。むしろ天皇の威勢を背景にした「対外的発動」の一環として、もう一方の当事者たる韓国の存在を無視したまま行なわれた領土編入の正当化と、既得権の一方的な確認という性格が表れていることを否定できないであろう。