학술논문

「大同」の宴と渡倭系文人 -肖奈行文「秋日於長王宅宴新羅客」について-
「大同」の宴と渡倭系文人 -肖奈行文「秋日於長王宅宴新羅客」について-a
Document Type
Article
Author
Source
日本語文學, 1(50), pp.221-240 Sep, 2011
Subject
일본어와문학
Language
일본어
ISSN
2733-9297
1226-0576
Abstract
『懐風藻』所載の肖奈行文の五言詩「秋日於長王宅宴新羅客」に「設席嘉大同」という表現が見える。長屋王の設けた新羅使節送別宴で肖奈行文が詠んだ「大同」とは何であったのか。長屋王の詩苑に集まった文人の出自、中でも『懐風藻』に新羅使節の送別宴に詩を残している文人の出自をみると、かつて東アジアに榮華を誇った諸王朝の出身者とその後裔が網羅されており、實に國際的な觀を呈している。當時長屋王の別莊である作寶樓は詩人や文人の集う文學サロンであった。新羅使送別の宴に參席した渡倭系の文人らもやはりこの集團的文學運動の主要な參加者であった。長屋王は自身の別莊を詩歌の場として開放することで奈良朝初頭の集團的文學活動の場を形作っていた。こうした文學集團の形成は近江朝の大友皇子の百濟系渡倭人たちを中心とする先進文化サロン、大津皇子の新羅系の文化サロンの文學集團の傳統を受け繼ぐものであった。長屋王の詩苑は百濟系、新羅系のみならず、高句麗系、伽倻系、中國系の渡倭系知識人をはじめ、日本の文人らの集う集團であり、肖奈行文の五言詩が詠まれた宴はこれらの多種多彩な出自の人々によって形成され、新羅の客人を迎えて張られた言わば國際的な宴であったのである。こうした多樣な出自の人々が主客の別無く一堂に會し、飮み且つ歌い、文雅の交わりを樂しむことを長屋王は「大同」と嘉みし、それを肖奈行文が五言詩に詠んだと考えられるのではないか。a
『懐風藻』所載の肖奈行文の五言詩「秋日於長王宅宴新羅客」に「設席嘉大同」という表現が見える。長屋王の設けた新羅使節送別宴で肖奈行文が詠んだ「大同」とは何であったのか。長屋王の詩苑に集まった文人の出自、中でも『懐風藻』に新羅使節の送別宴に詩を残している文人の出自をみると、かつて東アジアに榮華を誇った諸王朝の出身者とその後裔が網羅されており、實に國際的な觀を呈している。當時長屋王の別莊である作寶樓は詩人や文人の集う文學サロンであった。新羅使送別の宴に參席した渡倭系の文人らもやはりこの集團的文學運動の主要な參加者であった。長屋王は自身の別莊を詩歌の場として開放することで奈良朝初頭の集團的文學活動の場を形作っていた。こうした文學集團の形成は近江朝の大友皇子の百濟系渡倭人たちを中心とする先進文化サロン、大津皇子の新羅系の文化サロンの文學集團の傳統を受け繼ぐものであった。長屋王の詩苑は百濟系、新羅系のみならず、高句麗系、伽倻系、中國系の渡倭系知識人をはじめ、日本の文人らの集う集團であり、肖奈行文の五言詩が詠まれた宴はこれらの多種多彩な出自の人々によって形成され、新羅の客人を迎えて張られた言わば國際的な宴であったのである。こうした多樣な出自の人々が主客の別無く一堂に會し、飮み且つ歌い、文雅の交わりを樂しむことを長屋王は「大同」と嘉みし、それを肖奈行文が五言詩に詠んだと考えられるのではないか。